Kawanabe Kyosai Memorial Museum@DK HOUSE  WARABI/わらび

本日はDKハウスわらびから歩いて1分、桜並木を抜けた閑静な住宅街の中、

ひっそりと佇む「河鍋暁斎記念美術館」にを紹介します。

「河鍋暁斎」と言う名前は、あまり一般には知られておりませんが、

「妖怪」ファンの方には「妖怪画家」として有名ですね。

しかし、暁斎は本来、狩野派で修行し画号を授かった絵師なのです。

そんな彼の残した足跡を追って見ると非常に興味深いものがあります。

 

絵師 河鍋暁斎(かわなべ きょうさい)1831~1889

幕末から明治時代へ 流派を超えた個性派絵師

 

「浮世絵師」か「狩野派絵師」か?

幕末から明治と言う日本の激動の時代を生きた河鍋暁斎。

彼の作品には、画号をいただいた「狩野派」、さらに「浮世絵」「土佐派」「琳派」「四条派」

などを独学で学んだ絵師としての技が見事に生かされていることが窺えます。

仮名垣魯文の戯文により描いた鯰絵「お老なまず」、幕末期は、『狂斎画譜』『狂斎百図』

などを出版したほか、漢画、狂画、浮世絵それぞれに腕を振るいました。

また彼は、この時代のもうひとつの特徴である「国際化」にも大きく貢献しています。

フィラデルフィア万博(1876年)への出展、英国人「ジョサイア・コンドル」の暁斎への弟子入り、

ドイツ人医師「エルヴィン・ベルツ」、フランス人実業家「エミール・ギメ」な

どとの交友、暁斎と触れ合った多くの人達からは、彼に画家としての最大級の評価がされています。

河鍋暁斎は、天保2年(1831年5月18日)下総国古河(しもうさのくにこが・現茨城県古河市)に生まれ、

数え年2歳の頃に一家は江戸に出ました。(幼名は周三郎といい、結婚後河鍋氏を継ぎました。)

その後、明治22年(1889年4月26日)満58歳で没するまで江戸(東京)で活躍しました。

墓所は台東区谷中にある瑞綸寺境内、寺は瑞綸寺塔中正行院、戒名は本有院如空日諦居士。

墓石は遺言により、暁斎が好んで描いた蛙に似た自然石(庭石)が用いられています。

 

河鍋暁斎記念美術館

「公益財団法人河鍋暁斎記念美術館」は、浮世絵も描いた狩野派絵師として

知られている河鍋暁斎の画業また、彼の門人たちの活動を広く認知して頂くこと

を目的に創設されました。

暁斎の曾孫、河鍋楠美が自宅を改装したうえで、1977年(昭和52年)11月3日開館しました。

その後、2012年(平成24年)に公益財団法人へ移行しました。

 

河鍋暁斎記念美術館へのリンク http://kyosai-museum.jp/hp/top_page.htm

 

江戸末期から明治への激動の時代を生きた個性派の絵師「河鍋暁斎」

その波乱に富み、DKハウスと同じ、インターナショナルなマインドを持った彼の世界に浸り、

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